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イギリスで捕鯨というトピックを議論して感じたイギリス文化と日本文化の違い。反捕鯨国の考え方とは?

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イギリスに来て、自分は日本人だと意識する機会が多くなりました。
だからこそ日本にいたときよりも、日本の文化、政治について調べ考えるようになりました。
日本の独特な文化は海外には非常に伝わりにくく、誤解されていることもたくさんあるのではないかと思い、あえて近々提出する予定のエッセイのトピックを「捕鯨」にしてみました。
反捕鯨国のイギリスにて、いろいろな人に聞いて考えたことをまとめていきたいと思います。


日本国内でもあまり捕鯨について知らない人も多いのではないかと思います。
縄文時代から続くとされる捕鯨文化ですが、日本だけではなくいろいろな国が関与して一時クジラを殺しすぎた時代がありました。
それに伴い、クジラの絶滅を阻止すべく"生態系を科学的に見直す期間を設ける"ことを目的として「商業捕鯨モラトリアム」が施行されるわけですが、2013年、商業捕鯨だけではなく、一部エリアによる調査捕鯨までも停止するよう判決が下されました。
しかし過去すでに、ある種類のクジラであればある制限のもと捕鯨を再開しても問題ないというST. KITTS AND NEVIS DECLARATION(セントキッツ アンド ネビス宣言)が国際捕鯨委員会(IWC)で発表されています。

・なぜ捕鯨に反対するのか

あるアメリカのメディアも比喩したように"感情の十字軍"なんだと思います。
つまり、「かわいそう」という感情に突き動かされているように感じます。
生物の先生と捕鯨について話していたのですが、「もし科学的に捕鯨を続けても種の多様性が保たれると結論づけられれば、商業捕鯨を認めてくれるの?」と聞くと、「個人的な意見だけれど、やっぱり反対する」と言っていました。
なんでもやっぱりクジラを殺すという行為がどうにも悲しいのだそうです。
例えばこんな事件があったそうです。
イギリスでは馬もとても神聖視されており、馬肉も食べてはいけないのだそうです。
しかしある食べ物に馬肉が混入していたそうで大騒ぎになったのだとか。
「なぜ牛や豚はよくて、鯨や馬には感情移入してしまうの?」と聞くと、「文化的な問題ね。もちろん日本の文化はイギリスの文化とは違って考え方も違うから、日本が商業捕鯨を続けたいというのは感情論で否定されるべきではないと思う。でもやっぱり賛成とは言えないの」と教えてくれました。
とても難しい問題だなと思いました。
日本人だって生き物を殺して生きるということは悲しいと感じて、しかし牛にも豚にも馬にも鯨にも、感謝しながら、やっぱり殺してきたということ。
先生に「じゃあ何も殺さずに生きることがゴールなの?」と聞くと、「そう。それを目指したい」と言っていました。
何を目指すのか、ということなのかなと思いました。

・どうすれば説得できるのか、私の結論

もちろん「かわいそう」という以外にも、オーストラリアであれば鯨の頭数が減ることで鯨ウォッチングでの収益が減るなどいろいろな理由があります。
しかしそれを言うならば、日本の捕鯨で収益を得ている部分も捕鯨禁止によってダメージをうけますから、収益を問題にするのは適当ではないと考えています。
それに、この「かわいそう」という感情部分を解決できないことには、他にもこじつけたような理由はいくつでも出てくるような気もします。
ですが「私たちもかわいそうだとは思っているが、それでも続けたいのだ」といった趣旨の説得ではうまくいきませんでした。
なので争点を少し変え、「文化の違う国同士で話すときに、感情論を持ってきては理解しあえない部分は当然ある。そういった場合にも感情で物事を判断するのならば、相手国をけん制しているということになる」といったように説得するのがよいのかなと思っています。
お互いが100%理解しあうのは無理な話ですので、お互いに折り合いをつけなければなりません。
その折り合いがつかないのであれば、双方にフェアなはずの”科学的根拠”を用いて話をつけるべきです。
でなければお互いが譲れないもののために戦争がおきるのもあり得る話です。


捕鯨に関する国をめぐった陰謀説も飛び交っておりますが、それらが十分な証拠をもってして明るみに出ることはまずないと思います。
ですのでそういったことに熱をいれるよりも、いかにして相手を説得できるか、ということに頭を抱えてみるべきだと思いました。

私は捕鯨に反対だという先生も大好きですので、わかりたい、と思いますが、やっぱり長い間続いてきた捕鯨文化が「かわいそう」の一言でなくなってしまうのは正しくないと考えます。
「かわいそう」と思いながらもその恩恵に感謝して生きることは、あるべき自然との関わり方だと考えているからです。

以上、捕鯨を通して感じた文化の違いをまとめてみました。
生意気なことをたくさん書きましたが、何か読者様にとって楽しい読み物になったのなら幸いです。